「最近のラブホってパーティーも出来るんだな」
 冴島紅葉は、スマホの地図アプリを使いながら、女子会が開かれるホテルの情報を斜め読みしていた。
 駅から歩いて十五分。目的地はもうすぐである。
 紅葉と一緒に歩きながら、幼馴染みの遠山千佳が舌ったらずなしゃべり方で反論してきた。
 小柄な千佳は、少し怒ったように背の高い紅葉を見上げている。
「ラブホじゃなくって、ブティックホテルだよぅ」
「なんか違うの?」
「違ーう。ラブホって定員二名の部屋しかないホテルだよぅ」
「なに、その生々しい定義」
「それにぃ、ブティックホテルならカラオケがあったりとかぁ、デリバリーとかも頼めたりとかするんだよぅ?」
「……別に、普通のラブホでもそれはあるよね」
「そうなんだけど、そうなんだけどぅ」
 はたから見ると、しっかり者のボーイッシュな姉が、可愛らしい妹をあしらっているように見える。
 しかし、二人は同い年で大学生である。
 両手を握りしめて可愛く抗議する千佳を無視して、紅葉は進行方向を指さした。
「あ、あれかな?」
 国道沿いの広い敷地に、まるでお城のような外観のホテルが見えてきた。
 駅から辛うじて歩いていける距離にあるが、周囲に見えるのは中古車販売店とホームセンターと畑である。駅の反対側はそれなりに発展しているが、こちらは典型的な郊外の風景である。ラブホテルがあっても違和感は無い。
「わあっ!」
 その外観が心の琴線に触れたのか、千佳は眼を輝かせて小走りに駆け出した。
「ラブホに向かって嬉しそうに駆け出していく小娘ってのは、どうなんだ?」
 白とピンクを基調にしたワンピースを翻して先に行く幼馴染みを追いかけて、紅葉も小走りに駆け出した。

「なるほど。確かにパーティールームだね」
 無人の受付でカードキーを受け取った紅葉と千佳は、ホテルの十階にあるパーティールームへと入っていった。十階にはこの一部屋しかなく、フロアの全部がパーティールームになっているようだ。
「でしょぉ? これがブティックホテルだよぅ。防音もしっかりしてるみたいだから、朝までカラオケしても大丈夫だね!」
 防音のチャチなラブホとか有り得ないだろうと、心の中で突っ込んだ紅葉であったが、千佳が喜んでいるのに水を差すこともないと曖昧に微笑んだ。
「ちょっと、早すぎたかな」
 壁に掛けられたファンシーなデザインの時計を見上げた紅葉は、羽毛のフカフカなベッドに腰かけた。
「で、今日のオフ会って、何人くらい来るんだ?」
「えーとぉ、アタシと紅葉ちゃんを含めて五人!」
 千佳はいっぱいに広げた掌を紅葉に向けた。
「ネトゲの女プレイヤーだけの女子会か。そんなのに私が来ても良かったのか? 今更だけど」
「大丈夫だよぅ。一人じゃ不安だから付き添いいるけど大丈夫かって聞いたら、むしろ大歓迎とか言われたよぉ?」
「まあ、元々少ない女子会だったみたいだからな、賑やかしにはなってやるよ」
「ありがとぉ。紅葉ちゃん、大好き!」
「あー、はいはい」
 この可愛らしい幼馴染みに頼られるのはこれが初めてではなく、「大好き」と言われたのも一度や二度ではない。だから紅葉も、いつものように生返事を返した。
「それにしても……」
 自分が座っているキングサイズのベッドをチラリと見て、紅葉はボソッとつぶやいた。
「これに五人寝るのか?」
 しかし、パーティ-スペースにはローテーブルと一緒にゆったりとしたソファもある。だから、単に寝るのなら困らないだろう。
「むー、しかし、パーティースペースからベッドまで遮るもの無しか……」
 この間取りは、とんでもなく広いワンルームマンションの一室とも言える。
 もし、パーティー中に、このベッドが本来の使い方をされるとしたら……
「紅葉ちゃん?」
「うひひゃう!」
「やだ、変な声。どしたのぉ」
「なななんでもない!」
 この世で三番目くらいに信頼度に欠ける言葉を返して、紅葉はベッドから立ち上がった。そして、動揺をごまかすように、カラオケなどの操作をするためのAVコンソールをいじり始めた。
 と、千佳のスマホから軽快な音が聞こえてきた。どうやらメールかSNSの着信があったらしい。
 スマホを手に取った千佳は、ソファにふわりと座って操作を始めた。
「……えーっ!」
「なんだ?」
 まるでこの世の終わりみたいな声で叫んだ千佳は、スマホを握りしめて必死に文章を打ち込んでいた。
 何事かと思った紅葉は、適当にボタンを押していたAVコンソールを放置して千佳の隣に座る。
「ヤスケさんとデッドエンドの極みさんがぁ、うー、来れなくなったってぇ……」
 女プレイヤーでそのハンドル名はどーなんだと思いながら、紅葉は早くも涙ぐみ始めた幼馴染みを見つめていた。
 このオフ会では、紅葉は完全なお客様である。幹事は千佳がやっていたようだが、それにしては様子がおかしい。
「メールじゃまだるっこしいだろう。直で電話したらどうだ?」
「……電話番号……知らない」
「はあ?! ちょっと待て! じゃあ、どうやって連絡を取り合ってたんだ? 通話の出来るSNSアプリもあるだろ!」
「だってぇ、いつもはギルドルームで……チャットしててぇ……、ああ、もう退室しちゃった……」
「もう一人は?!」
「……」
「あー、もう!」
 どうやら女子会が出来るとはしゃいでいたのは千佳だけであったようである。哀しいことにドタキャンを食らってしまったらしい。それでも、二人は連絡をくれただけマシかもしれない。もう一人は連絡も取れないようだ。
「うー……」
「あー、なるほど。不安だから付き添ってくれって言うのはこういうことか」
「楽しみだったのにぃ、初めての、オフ会……」
 普段は紅葉の後ろにくっついているような千佳であるが、時々とんでもなく積極的になることがある。大抵は空回りに終わって、その度にケーキパーティーとかやって慰めたりするのだ。
「まあ、しゃーない。電話番号も交換できないうちに会うべきじゃなかったな。次はもっと上手くやれよ」
「次ぃ? やっても、いいの?」
「は? いや、千佳の好きにすればいい」
「だってぇ……。アタシ一人だけならいいけどぉ、今回は紅葉ちゃんも巻き込んじゃったし……。怒ってない?」
「どんだけ長く付き合ってると思ってるんだ。怒ってないよ」
「ホントに?」
「ああ」
「ホントのホントに?」
「ホントに」
 そして、紅葉は身構えた。
 このやり取りも何度繰り返したことだろう。この後の展開も予想済みだ。
 千佳は半泣きの笑顔で紅葉に抱きついてくるだろう。
 そして、その予想は、その通りになった。
「ありがとぉ! 紅葉ちゃんっ!」
「うぶっ!」
 だが、紅葉の予想と違うことが起こった。いや、予想を上回ったというべきか。
 大学に入ってからこういうことは少なくなったのだが、久しぶりに抱き着いてきた千佳の身体の感触は、例えようもなく柔らかかった。そして何より、自分のささやかな胸に押し付けられている肉の感触。
「ち、千佳……?」
 幼馴染みに抱きつかれたことは初めてではない。それこそ、ランドセルを背負う前から繰り返してきた行為だ。
 しかし今、自分にしがみついている女は誰だ?
 こんなに柔らかい感触は知らなかったし、こんなに肉感的な身体も知らない。
 いつもは、抱きついてくる幼馴染みの背中をさするか軽く叩くくらいだが、紅葉は思わず抱きしめようとした。よく知っている、しかしこれまで知らなかった女の身体。
 だが、その気配を察したわけでは無いであろうが、絶妙なタイミングで千佳は紅葉から身体を離した。
 千佳の背後で行き場を失った紅葉の両腕がユラユラと揺れる。
「ありがと、紅葉ちゃん。もう大丈夫」
「そ、そう? んなら良かった……」
 自分は何を動揺しているのだろう。ドタキャンでショックを受けていたのは千佳であって、自分ではない。
「でも、どうしよっか。せっかくお泊りのつもりで来たのに……」
「あー、いいんじゃないか? 二人で女子会をすれば」
 その瞬間に千佳が見せた笑顔を、紅葉はしばらく忘れることが出来なかった。
「そう……、だよね! 女の子が二人いれば、女子会って出来るんだよね! やろう! 女子会! 紅葉ちゃんと二人で!」
 いつもの甘えるような口調はどこへ行ったのか、千佳はこの世の真理を諭されたような笑顔を頼れる幼馴染みに向けた。