「お母さんと、キス……は、出来る……。うん、出来る」
 翠は単に『出来る』と呟いたが、それを想像したとき、翠の頭の中は甘く痺れてくるように感じられた。父親とのキスを思い返し、親友とのキスを反芻して、翠はそれに母とのキスを重ね合わせてみる。
 オンナの唇。
 オトナのキス。
 情熱的に唇を重ね合わせ、官能的に舌を絡ませる。翠は思わず舌なめずりをしてしまった。次いで、溢れそうになった涎をだらしなく啜る。
「ジュる……。ん、んん……。……それじゃ、一緒にお風呂……は……、いや、そんなの普通じゃない。親子なんだし、女同士なんだし。それに、今年のお正月に温泉に行ったとき、一緒に入ったし……」
 その時の母親の肢体を思い返して、翠は顔がさらに熱くなってきた。母親の身体自体は、先日両親の寝室でもクローゼットから覗き見た。父親の手によって揉みしだかれていた早季子の乳房は、娘の目から見ても素晴らしい形をしていた。それは、とても一児の母とは思えない、いや、子供を産んでいるからこそ、張りのある見事な柔肉であった。男であれば誰でもそれに吸い付き、揉みしだき、舐め回したいと思うだろう。そしてそれは、男だけとは限らないのである。
「お母さんの、おっぱい……」
 父親の肉棒が身体に突き入れられる度に、まるでたわわに実った果実のように揺れる母親の乳房。父親の手に掴まれ、粘土のように柔らかく形を変える肉の塊。翠の脳裏に浮かび上がる、母親の豊満で淫らな肢体。
 翠はそれに、触れたいと思った。揉んでみたいと思った。
「アタシは……、お母さんと……」
 母親と、恋仲になる。ありえないはずの妄想を、だが、翠は否定することができなかった。
「で、でも、じゃあ……、お母さんは? お母さんは、どうなのかな……」
 だが、この桃色の妄想の中で翠の心を何よりも驚かせたのが、ここ最近の母親の言動であった。
 母親が娘に向けたアドバイス。早季子が翠に語った言葉の意味。
 もしも早季子が実の娘に対して、親子のそれではない、身も心も求める恋愛感情を抱いているとしたら、早季子の発した言葉の意味は、まったく異なる意味を持つようになる。
 早季子は嫉妬していた。
 ――誰に?
 早季子は羨ましそうにしていた。
 ――いったい、誰に?
 そう、早季子は、康史にベッタリ過ぎな翠を心配しているというのではなかった。夫と仲の良い愛娘に、妻として嫉妬しているのではなかったのだ。
 早季子が実は、娘と仲の良すぎる夫に対して嫉妬していたということになる。
 イオカステーコンプレックスという言葉がある。これは、母親の息子に対する性的欲求を表す言葉であり、エディプスコンプレックスと想いの向きが百八十度逆になったものだ。仕事などにかまけて不在な夫に代わり、母親が家庭内で性的欲求を満たそうとして、血の繋がった実の息子に欲情するとケースがある。これはそう言った、近親相姦的な嗜好を表す言葉だ。
 では、母親が娘に性的欲求を抱いた時、それはどのように呼ばれるのだろうか?
 ――お母さんと、恋仲になる……。
 再び鏡に目を向けた翠は、その中で嬉しそうにニヤけている少女と目が合った。
「う、うわっ!」
 翠は思わず声を上げてしまった。慌てて起き上がり、枕を鏡に向かって投げつける。投げつけてから、倒れるかもしれないと気付いて再度慌てふためいた。が、幸いな事に、宙を飛んだ枕は、鏡の向きを変えただけで倒してしまうことは無かった。そして、鏡の中の自分も見えなくなる。
 翠は大きく息をついて、ベッドに身体を投げ出した。
「…………ビックリしたぁ」
 ここ最近、千佳には特に言われているが、自分はあんなにもだらしない顔をしていたのか。自分のだらしない顔を思い返して、翠は自己嫌悪に陥りそうになる。しかし、それ以上に翠の心を占めていたのは、やはり母親のことであった。
「まさか……、だよね? まさかまさか、だよ……ね?」
 誰にともなく呟いて、翠は仰向けのまま目を閉じた。

   *

 母親の態度に疑問を覚えた翌日、翠は早季子とあまり顔を合わせないようにして家を出た。不審がられるのは承知の上である。
 母親が、自分の事を女として好きなのかもしれない。その事を考えると、ポーカーフェイスで母親と普段通りに会話するなど出来そうになかった。ウソなど吐き慣れていたはずの翠だが、最近はその自信も完全に喪失している。
 せっかく康史と千佳のことに上手く折り合いがついて、早季子に対して普通に接することが出来るようになったと思ったら、今度は母親自身が翠の悩みの種になってしまったのである。
 もし本当に早季子が翠の事を好きなのなら、素直に受け入れれば良いと考えなくもない。だが、そうすると、今度は康史との関係も話さなければならなくなる。隠したままという選択肢は、今の翠にはない。二人の恋人の事を隠そうとして色々と面倒な目にあったのは、ついこの間の事である。
「どうした? ぼーっとして」
「え? ううん、ちょっと考え事」
 翠は今、父親の運転する赤いスポーツカーの助手席で、窓の外を流れる夕方の街を漫然と眺めていた。陽はまだ沈み切っていないものの、太陽とは反対側の空は、すでに薄い茜色から紺に色付き始めている。
 千佳と一緒に康史からサプライズをされてから、翠は父親とはしばらくご無沙汰であった。しかし、今日は時間が取れたとのことで、早くに仕事を切り上げた康史は、恋人である娘を放課後に誘ってきたのだ。
 ようやく、父親と二人っきりで甘い睦み合いが出来る。翠にとってそれは、至福の時間になるはずである。
 だが、学校帰りに父親と待ち合わせた翠は、愛しい男が隣に居るはずなのに、心ここにあらずと言った様子であった。
「せっかく久しぶりに二人っきりになったのに考え事とか、今日は止めようか?」
「あああっ、ごめんなさい、お父さん! 大丈夫、大丈夫だから!」
「ほおう。そうかそうか。翠はそんなにしたいのか」
「え、ちがっ! ……くもない……けど……」
「んん?」
「おおおお父さんのイジワル!」

 康史の運転する車は、とある高級マンションへと入っていった。駅からほど近い距離にあるこのマンションは、駐車場へ入るのにも守衛の居るゲートをくぐらなければならない。今風の、セキュリティのしっかりとした高級マンションだ。
 地下の駐車場に真っ赤なスポーツカーを止めた康史は、娘を伴ってエレベーターで上階へと向かった。エレベーターにも非接触型のスマートキーが必要で、鍵のあるフロアしか降りられないようになっている。
「それにしても、お父さん、こんな高級マンション持ってたんだ。お母さんにもアタシにも内緒とか、やーらしいんだ」
「人聞きの悪い。ここにはウチの社員が住んでいるんだ。ちょっと部屋を借りるだけだよ」
「お父さんの、会社の人? ……ふーん」
 それ以上は何も言わず、翠は意味ありげな視線を父親に流して康史の腕に自分の腕を絡ませた。
 目的の階に着いた康史は娘と腕を絡ませたまま、迷う事のない足取りで一番奥の部屋へと向かった。そして、慣れた手付きで鍵を開けて中に入る。翠もそれに続いた。
 康史と共にマンションの一室に入った翠は、父親から離れて部屋の中をぐるりと見まわした。リビングはとても広く、ゆったりとしたソファセットが部屋の一角に置かれている。その向こうにあるドアは、恐らく寝室だろう。そして寝室と反対側には、対面式のダイニングキッチンがある。
 間取りはシンプルな1LDKのようであるが、並みの1LDKならば二部屋分は収まってしまいそうな広さである。リビングの一面は全面ガラス張りで、その向こうはバーベキューが出来そうなくらい広いテラスだ。さらに目を遠くに向けると、薄明るい空の下に明かりが灯り始めて夜景になりつつある街が見えた。
「……女の人の部屋、だよね?」
 ミニマリストほどではないが、基本的には質素で落ち着いた部屋である。パッと見には男が住んでいるのか、女が住んでいるのか見分けがつかないが、ティッシュ箱にカバーが掛けられていたり、ソファセットのローテーブルの上に小さな花瓶があったりと、ところどころに女性的な心遣いが見て取れる。
「そうだな」
「もしかして、真奈美さん、かな?」