「はあああっ?!」
「そんなに大きな声で驚くことないじゃない。今もお父さんとシタばっかりなのに」
「そ、それは……、流れと言うか、おじさまが勝手にというか……」
「気持ち良かったでしょう?」
「う……」
「気持ち、良かったでしょ?」
 同じような声音で、微妙に異なるニュアンスで翠は聞いた。隣で恋人のたじろぐ気配がする。
「う、うん……。でもでも! あなたが見てる前でおじさまと……、するなんて……」
「んん? 変なコト言うのね。今、アタシの目の前でしてたじゃない」
「今は! あ、あー、その……、そう! 翠と、セックスしたのよ! 翠もそう言ってたじゃない! だからノーカンよ、ノーカン」
「それなら尚の事、改めてお父さんとして欲しいな」
「あー、ほら。もうすぐおばさまも帰ってくるじゃない。万が一、億が一よ、おじさまとするにしても、そんな慌ただしいのはイヤよ」
「うん、まあ、それはそっか」
 翠は壁に掛けられた時計を見た。ネズミの国のマスコットキャラクターが、間もなく母親の早季子が帰ってくる時間を指している。
 翠は仕方ないと言った風にため息を吐いた。別に、康史と千佳の関係は険悪なものではない。……ように見える。今日のところはこれで満足するべきだろう。何しろ、必死になって二人を騙す必要が無くなったのだ。むしろ、二人は仲良く自分を騙しに来た、ようにも見える。
 二人の関係は、これから時間をかけてじっくりと良いものにしていけばいい。
 それに、これで安心して、翠は母親の早季子と相対することが出来る。母親のオトコを寝取ったことに対する罪悪感が消えたわけではないが、父親との関係をうまく誤魔化す為の目途もついたのだ。早季子の見ている前では千佳とイチャイチャして、見ていないところで父親と睦み合えば良い。
「はー……っ」
 張り詰めていた心を解き放つように、翠は横たわって天井に向かったまま、大きく満足気な息を吐き出した。

 その晩、翠は久しぶりに、夢も見ないほど熟睡することが出来たのであった。

   *

「お母さん、おはよ。お父さんは?」
「今日は午後からだって」
「そうなんだ。それでも、朝に起きてこないなんて珍しいね。休みでも、いつもはこの時間には起きてるのに」
「んん? ……そうね。たまにはゆっくり寝させておいても良いんじゃない?」
 ――もしかして……、昨夜はお楽しみだったのかな……?
 母親の様子から、翠はピンときた。
 父親と恋仲になる前なら気付かなかったのだろうが、今では分かる。多分、昨日の夜、二人はベッドで愛し合ったに違いない。それも、康史が起きてこられなくなるくらいに。
 ――いや、待って待って。お父さんってば、アタシたちとした後にお母さんともしまくったの?
 以前、父親との関係がバレることを恐れて、翠は両親がセックスする日は父親とするのを遠慮した。しかし、今朝はそれがバレた様子はまるで無い。それどころか、康史が起きてこない様子を見ると、早季子は夫との睦み合いを普段以上に愉しんだようである。翠と千佳、二人の少女と淫らに絡み合ったその夜に、さらに妻との行為に耽る。もしかしたら、娘とその友人との関係がバレないように、康史もいつも以上に頑張ったのかもしれない。
 ――ああ、お父さん、本当に腰が抜けちゃったのかしら……。
「……羨ましい」
「ん? なあに、翠?」
「ああ、ううん、何でもない。それにしても、お母さん、なんか今朝は上機嫌ね」
「そうかしら?」
「そうよ。なんかいい事でもあったみたい」
「そうね。良い事ならあったわね」
 その答えに、翠はギョッとした。母親が笑って誤魔化すのを想像していたのに、まさか普通に認めるとは思わなかったのだ。
「だって、翠にもようやく良い人が出来たんだもの」
「……え? ああ、そうね。うん、千佳と、付き合うことにしたんだものね」
「お父さんから昨夜聞いたわよ。千佳ちゃんととってもラブラブだったんですってね」
「ええ?」
 昨夜、翠と康史と三人で愉しんだ後、シャワーを浴びた千佳は早季子の帰りを待たずに帰宅した。
 母親には千佳が来ていたことだけを伝えていたから、詳しいことは父親の康史から聞いたのだろう。母親の態度から、上手く誤魔化して説明してくれたようだ。
「ええと、お父さんは何て言ってたの?」
「うふふ、お父さんがジェラシーを感じちゃうくらい、翠たちはベタベタだったんですってね」
「ああ……、そお……。うん、そうだね……」
 どちらかというと、昨日は康史と千佳が一番絡み合っていたように思う。二人に聞けば別の感想が出てくるのかもしれないが、千佳と康史に騙されていた翠からすれば、やはり昨日の主役は二人だったように感じるのだ。
「そろそろ食べないと、時間無くなるんじゃない?」
「あっと、いけない」
 いつもと違い、今日は二人分だけが用意された朝食のテーブルで、翠はトーストとコーヒーに手を付け始めた。

「行ってきまーす」
「はい、行ってらっしゃい」
 母親からお弁当を受け取り、翠はいつものように家を出た。
 学校への道すがら、翠は自分と父親、そして親友の事を考える。
「アタシって、やっぱり節操が無いのかしらね」
 千佳が聞けば、控えめにも程があると言って呆れられそうなことを翠は呟いた。
 趣味と実益を兼ねて援助交際をしていたのだから、節操が無いなどという表現は生温いだろう。ましてや、性欲だけでなく愛欲も二人分まとめて求めるなど、貪欲な事この上ない。
「まあ、結果オーライだから良かったのよね」
 翠が必死になって康史と千佳との関係を隠そうとしていたのが馬鹿らしくなるくらい、父親も親友も自分を受け入れてくれた。千佳の方はまだ康史に隔意があるものの、文字通り全てをさらけ出した今となっては、それも時間が解決してくれるだろう。
「さっさとヤっちゃえば早いと思うんだけどな」
 通学の電車の中で、翠は良い処のお嬢様にあるまじき下品な事を呟いた。もっとも、具体的な事は何も言っていないので、呟きを耳にした者がいたとしても、何のことかは分からないだろう。
「……いっそのコト、お膳立てした上げた方が良いのかしら?」
 なんとも自分に都合の良いことを考えているが、翠としては、やはり昨夜の事に対して意趣返しをしたいという気持ちがある。康史も千佳も翠が好きなのは間違いないが、それはそれ、これはこれである。
「……はよー」
「二人ともあの掲示板をまだ使ってるならそれで……」
「……よってば!」
「いやいや、二人には直接メールすればいいだけよね」
「翠! おはよっ!」
「うわおっ! おおおおはよ、千佳!」
 昇降口で上履きに履き替えていた翠の顔の真横に、呆れた顔で朝の挨拶を叫ぶ恋人の顔があった。
「……」
「ええと、千佳……さん? お、おはよ?」
 ジトっとした目付きで翠を見る千佳は、昨夜の嬌態など微塵も感じさせない冷ややかさを湛えていた。
「おはよう。朝から何を妄想していたのか知らないけど、だらしない顔だったわよ」
「ううう、うそ!」
「よくそれで色々騙しおおせていたわね。むしろ感心するわ」
「えへへ……」
 翠は、少し照れた顔で舌を出した。
「別に褒めてない!」
「あら、朝から痴話ゲンカかしら? 仲の良い事ですわね」
「ち、違っ……!」
 後ろから別のクラスメイトに声を掛けられて、翠は慌ててしまった。千佳とは恋人になったばかりだが、クラスの友人たちにはすでに知られてしまっている。それを冷やかされるのは、まだまだ慣れそうにない。
「おはようございます、翠さん、千佳さんも」
「おはよー、弥生」
「……おはよう、弥生ちゃん」
「仲が良いのはとっても羨ましいのですけど、学校ではほどほどになさってくださいね。目の毒ですから」
「分かってる分かってる」
「ああアタシは、そんなイチャイチャしてるつもりは無いからね!」
「ふふっ、それではお先に失礼します」
「そんなんじゃないんだから!」
「翠みどりっ」
「何よ!」
「気付きなさいよ。からかわれてるだけだってば」
「はう……。見ない振りしてくれるんじゃなかったの……?」
「見ない振りと、無かったことにするのとは違うからね。体のいいオモチャみたいに思ってる娘もいるんでしょ?」
「ううう……」
 からかわれていたのは千佳も同じはずであるが、翠と違って実に冷静である。
 二人の関係をクラスメイトに知られていても、翠と父親の関係を知っていても、普段とまるで変ることのない親友に翠はなんとなく苛立ちを覚えて頬を膨らませた。それが理不尽な感情であることは分かっているが、理性ではままならない思いもある。
「……なんで、いつも通りなの?」
「はい?」
「はあっ……。アタシ、結構悩んだんだよ?」
「何に?」
「何って……、色々よ」
「ふふ、イロイロね……。別に、私だって何も考えていないわけじゃないわよ。これからあなたと……、おじさまとどうやって付き合っていくのか、とか。あと、おばさまとも」
「……? お母さん?」
「ええ。あなたが家でどんな顔をしているのか分からないけど、私はおばさまとも上手くやっていきたいと思っているわ」
「そりゃ、そうでしょうけど……」
 恋人の家族と仲良くする。それは、ごくごく当たり前のことである。あるのだが、千佳の物言いはそれとは別の、何か単純でないモノを含んでいるような気がした。
「……なんか、隠してない?」
「うん、隠してる」
「は? ちょっと?」
「でも、秘密」
「……素直に答える気はないんでしょうね」
 一年ちょっとの付き合いとは言え、翠は千佳がどういう少女か理解している。だからこそ、心も身体も一つになる関係となったのだ。そしてこういう時、千佳が簡単には秘密を明かさない少女だということは分かっている。
「そうよ。私のコトを騙そうとしてたんだから、その分は翠にも大変な思いをしてもらわないと」
「えええ? 昨日で満足したんじゃないの?」
「昨日のサプライズは、おじさまプロデュースだったからね。私のじゃないわ、ふふふっ、楽しみにしてなさい」
「誕生日プレゼント、じゃないわよね」
「あははっ! ひみつーっ!」
 恋人を置き去りにする勢いで、千佳は足早に教室へと向かっていった。