翠は心底ドキリとした。
 なぜなら、父親の言葉は完全にその通りであったからである。
 母親に隠れて、父親と恋仲となっている。親友に秘密で、父親と付き合っている。そして、父親には、クラスメイトと付き合っているのは振りだとウソをついている。
「だ、そうだよ。遠山さん」
「……え? ……は……えええ?」
 翠は、康史が発した言葉の意味が分からなかった。
 それは明らかに自分に向けたものではなく、この場にはいないはずの、別の人間に向けたものであった。
 見上げると、康史がリビングの方を向いている。
 つられて、翠もリビングの方へ眼を向けた。
 そこには、ソファ越しに愛想よく手を振っているクラスメイトの顔があった。
「はーあーい、みーどりっ♪」
「……………………っっっっっきゃあああああああっ!」
 有り得ないはずの光景に、翠の心は一瞬硬直した。悲鳴ですら、出てくるのにかなりの間が空いてしまった。そして遅れて出た悲鳴を上げながら、翠は反射的に、千佳から隠れるように父親の背後に回り込んだ。
「何でっ? 何で千佳がいるのっ?」
「ふふ、なーんでだ?」
 ソファの背もたれから身体を乗り出しているクラスメイトは、少年のような笑顔を恋人に向けていた。それは、悪戯を見事に成功させた、会心の笑みである。
 一体、いつから千佳はリビングにいたのだろうか? 帰ってきた時には明かりがついていなかったが、最初からリビングに潜んでいたとしたら、父親との異常な性愛行為もすべて見られてしまったことになる。
「い……、いつから……?」
「んー、ふふふ、最初っから」
「じゃあ、お父さんとセックスするって話も……」
「うん」
「アタシが……、自分で裸になったところも……」
「綺麗な背中と可愛らしいお尻に見惚れてた」
「いやーっ! なんで? どーして千佳がここにいるの? お父さん知ってたの!?」
 千佳がいることを知っていたかのような口ぶりだった康史に、翠は耳元で怒鳴るように問いただした。
「もちろん知ってたよ。オレが呼んだんだからね」
「な、なんで……」
 訳が分からない。いったい何度、「なんで?」と問いかけただろうか。
「サプライズだよ。ちょっと早いけど、翠に誕生日プレゼントだ」
「そ、今年の誕生日プレゼントは『私自身』ってやつね。ほら、このリボン、可愛いでしょ?」
 言われて、翠は、千佳が真っ赤な大ぶりのリボンを頭に巻いているのに気が付いた。普段は絶対に身に着けない、実に可愛らしいリボンである。それこそ、プレゼントの包装に巻き付けられているような、目に鮮やかな真紅のリボンだ。
 どうやら二人は、翠の知らないところで示し合わせていたようである。
 康史の様子は普段と変わらず、千佳もクラスで話しているのと変わらない口調である。自分だけが慌てふためいているのが馬鹿らしくなってきた翠は、少し心を落ち着かせた。
「……『私自身』は無しって言ったでしょ?」
「でもそれって、私たちが付き合い始める前の話よ?」
 千佳と付き合い始めた、というところで、翠はハッとなった。思わず康史の方を見る。
「お前が遠山さんと付き合い始めたことを後ろめたく思っているみたいだからね、ちょっと協力してもらったんだよ」
「で、でも……」
「可愛いな翠は」
 そう言うと、康史は椅子から立ち上がり、裸でいる娘を抱き締めた。そして翠の顎をクイッと上げると、娘の恋人が見ている前で少女の唇に吸い付いた。
「ん……」
「おじさま、ズルい。さっきからおじさまばっかり翠と遊んで」
 康史から翠の身体を奪うように手を引いた千佳は、恋人の父親が見ている前で翠と唇を重ねた。
「んん……」
「んは……。ね、翠は、私のことが好き?」
「……好きよ」
「おじさまのことは?」
「大好き!」
「……微妙な違いが気になるけど、まあ、気にしないわ。でも、そういうことなのよ。私は翠が好き。おじさまも翠が好き。それで話は終わりなの」
「でも……!」
 翠は二人の顔を交互に見た。どちらも優しい微笑みを自分に向けている。二人の気持ちに嘘偽りは無いだろう。自分の気持ちにも、それは無い。
 では、康史と千佳は、お互いをどう思っているのだろうか?
「千佳は……、お父さんのことをどう思ってるの? ……実の父親と付き合ってるなんて、変でしょ?」
「大キライ」
「ふえ?」
 あまりにもストレートでネガティブな答えに、翠はハトが豆鉄砲をくらったような顔になった。
「でも、気にしないわ。だって、翠の大好きな人なんだもの。その人ごと、私は翠が好き」
「ヒドイな。オレはキミのことを嫌いじゃないよ」
「それは当たり前でしょう、おじさま? 女子高生がキライな男の人なんているわけないわ」
「そりゃま、そうだね」
「……二人は、いつから知り合いだったの? この間、校門のところで会ったのが初めてじゃないみたいだし……」
「まだ気付かないの?」
 裸の翠を抱いたまま、千佳は巧妙に康史から距離を取った。挑戦的な流し目を康史にくれながら、翠の問いに答える。
「私たち三人の共通点は何かしら?」
「……アタシを好きなコト?」
「翠は自分のことがそんなに好きなの? そうじゃなくって、三人って言ったでしょ?」
「……?」
「ホンっとに鈍いわね! 自分のことになるとからっきしなんだから! 翠がおじさまと恋仲になったのはなんで?」
「……あ!」
「そう言うこと。例の掲示板よ」
「それじゃ、千佳とお父さんは……」
「うふふ。おじさまとのセックスは中々良かったわよ。そこらのヒヒ爺とは比べ物にならなかったわ。何ていうのか、愛撫がね、凄かったの」
 思わず、翠は父親を睨みつけた。
 康史の方は、反射的にあらぬ方を向いてしまう。
「こらこら。おじさまを責めたら可哀そうよ。私がおじさまに買われたのは、翠とおじさまが恋仲になる前なんだから。それに、なんで、おじさまの愛撫が良かったと思うの?」
「それは……」
 その答えは分かり切っているが、自分で言うのは、やはり恥ずかしい。
 言い淀んだ翠に、千佳はもう一度軽くキスをした。
「分かってるじゃない。翠が好きだからよ。私はね、翠の身代わりだったの。まあ、私の方も、おじさまとのセックスを楽しませてもらったけど。あたたっ!」
 なんとなくジェラシーを感じて、翠は抱き付いている千佳のお尻をつねり上げた。
 だが、そのジェラシーは、一体誰に向けたものであったのだろうか。
「スッキリしたかい?」
「……え?」
「遠山さんと恋人になったって話を聞いてから、翠の様子がおかしかったからね。母さんに対するカムフラージュだって言ってたけど、そもそもそんな気を回すことなんて無かったんだから」
「で、でも……。アタシがお父さんと愛し合ってるなんて普通じゃないんだから、それ以外のところでは真面目でいたかったの……。アタシが本気で好きなのはお父さんだけ……。そう思おうとしてたから……」
「援助交際をしまくってた淫乱娘なのに?」
「混ぜっ返さないで!」
「ゴメンゴメン。でも、私の時にも言ったじゃない。難しく考えすぎだって」
「そうだね。仮にオレと遠山さんが関係してなかったとしても、翠と遠山さんが本気の付き合いをすることに反対はしなかったよ。むしろ歓迎したいくらいだ」
「そう……なの……?」
「オレたちの関係が普通じゃないのは当たり前のことだからね。遠山さんが男でも、オレはそれを受け入れるよ。そのせいで翠がオレから離れることになってもね」
「ホントに、お父さん?」
「まあ、オレを超える魅力的な男なんて、そうそういないだろうけどな」
「うわっ! おじさまって、自信家ぁ……」
「さすが、戦国武将並み……」
「戦国武将?」
「ほら、この間、日本史の授業でやってたじゃない」
「ああ、歴史オタクの……」
「さて、そろそろ、ベッドに行こうか」
「きゃうっ!」
 話が一段落したところで、康史は娘の身体を軽々と抱き上げた。女の子の憧れ、お姫様抱っこである。
「むぅ……」
「どうしたの、千佳?」
 クラスメイトより少し高い位置から見下ろした翠は、微妙な顔をしている同性の恋人に声を掛けた。
「別に! 羨ましくなんてないから!」
「ぷ……っ。あははっ! それってなんてツンデレ?」
「うるさい! さっさと行きましょ! おばさまが帰って来ちゃうわよ。それとも、おばさまも交えて4Pでもする?」
「お母さんも……?」
「おっとと、そいつはいけない」
 千佳の軽口に微妙な反応をしてしまった翠であるが、康史はそれに気付かなかったようである。先にダイニングを出た千佳を追って、翠の父親は全裸の娘を抱きかかえてダイニングを後にした。