「お父さんのバカ……。まだ、お尻がジンジンするよ……」
 ベッドに並んで横たわり、翠は仰向けになっている父親の腕枕の中にいた。半身を被せるようにして、康史の筋肉質な肩に頭を乗せている。枕にしている父親の手が、自分のセミロングの髪を梳いているのが気持ち良い。
 床頭台の時計は九時過ぎを指している。母親の早季子が帰ってくるまで、あと一時間ほどだ。
「でも、なかなか良かったろう?」
「う……、ま、まあ……。それに! 結局、お父さんが愉しむばっかりだったじゃない! アタシの、身体を……」
「あんまり良くなかったかい? 随分と時間をかけて身体とお尻を慣らしていったんだけどな」
「いや、良くなくは無いことも無い、ような気がしないでもないんだけど……、それを認めるのにやぶさかではない、のかもしれない……」
「お尻は初めてだったみたいだね」
「……うん」
「嬉しいね。翠のアナルバージンは、オレが貰ったことになるのか」
「ああ、うん、そだね…………」
「どうしたんだい?」
 少し躊躇ってから、翠は康史に問いかけた。
「……やっぱり男の人って、処女が良いの?」
「は……。うーん、そうだなぁ、気になるのかい?」
「だって……」
 今更ではあるが、康史は翠の最初の相手ではない。
 翠が通っているのは良家の子女が通う名門校である。庶民レベルでは信じられないかもしれないが、鈴城では結婚するまで貞操を守るのが女の美徳と、今でも真面目に教えている。だが、いかにお嬢様学校であるとは言っても、年頃の少女たちが集まっている乙女の花園だ。恋話に花を咲かせることもある。翠のような編入組は男女の生々しい話を平気でするが、温室育ちのエスカレーター組も意外と興味津々で話に入ってくるのだ。理想の男性像を語り合ったり、すでに彼氏のいるクラスメイトの甘酸っぱい話を聞いたりして、放課後や休み時間にきゃいきゃいと騒ぐのだ。もっとも、異性経験の機会が少ないエスカレーター組の少女らの恋愛観は、翠たち編入組からすればいささか浮世離れしていると感じられた。
 面白いことに、初めては好きな相手に、というのは、編入組、エスカレーター組を問わず、ほとんどの少女たちに共通していた。どうやら、白馬の王子様というのは、生まれや育ちに関わらず、乙女の共通認識であるようだ。
 だから、援助交際で処女を散らした翠と言えど、好きな相手に処女をあげたいというのは、感覚としては分かる。しかし、翠は最初から実らない恋をしていたから、自分の処女にそれほどの価値を見出してはいなかった。もっとも、別の意味での価値は認識していたから、翠にとっての処女は、『思ったより高かった』という記憶しかない。
 それが、図らずも自分の恋が実ってしまった。こんなことなら、と思わないでもないが、恋が実った直接の理由が恋をあきらめた結果の援助交際であったので、なんともやるせない気持ちになるのである。本当に、この世はとかくままならない。
「うーん、そうだな……。処女が良いっていうよりも、好きな娘の初めての相手になるっていうのが良いんだろうね。ステータスだよ。独占欲にも似てるかもしれない」
「勲章……、とか?」
「ああ、そういう言い方もあるね。人の心なんて、実際は本人にしか分からないもんだから、相手の娘に処女を捧げられると、男からしたら好かれているって確信が持てるんだ」
「不安になるようなこと、言わないでよ。アタシはお父さんに愛されてるって信じてるんだから」
「オレのことが信じられなくなる?」
「だって……、アタシはお父さんの奥さんじゃないし……」
「やっぱり母さんのことが気になるのか」
「それはそうよ。お父さんとお母さんは、アタシの前でイチャイチャしても大丈夫、っていうか、いつでもイチャイチャしてるけど、アタシはそんなわけにはいかないじゃない。お母さんの見ている前で気の無い振りされると、分かってても不安になるよ……」
「そんなにイチャイチャしてるか……」
 康史は、まずいところを見られた、といった風に自分の口元を隠した。
「してる。ラブラブっぷりが熱い」
 と、容赦なく責める翠。
「ま、まあ、あれだ。母さんのいないところじゃ、母さん以上に愛してあげてるつもりだよ」
「それが、お尻ぃ?」
「いや、まあ、オレの趣味も入ってるがね……」
「ふーん……。まあ、いいわ。今はそれで満足してあげる。お尻も、いつもでキレイにしておくから」
「そ、そうか……。そうだ、翠、お詫びにいいことを教えてあげよう」
「なに?」
「離婚したら夫婦は他人になるけど……」
「不吉なコト言わないでよ」
 翠は康史を本気で愛しているが、母親の早季子も好きである。両親の離婚など、翠は全く望んでいない。
「まあ、聞け。離婚したら夫婦は他人になるけど、親子は、いつまでたっても親子なんだよ」
「……! それって……」
「そう。オレたちの関係は、何があっても変わらないんだ」
「お、父さん……!」
 不毛の荒野が、一瞬で一面の花畑になるような気がした。どんよりとした曇り空が一陣の風で晴れ渡り、まばゆい太陽に照らし出される幻も見えた。嬉しさの塊が心の奥から沸き上がり、感涙となって翠の目から溢れ出す。翠は裸のまま父親に抱き付き、こぼれ出す感情を唇に乗せて康史に心からのキスをした。舌は絡ませない。しかしそれは、濃厚な口付けであった。性的な要素の欠片もない、純粋な愛情に溢れるキス。
 娘も父親も裸のまま、相手の体温を直に感じながら、愛し合う一組の男女として唇を重ね続けた。
 翠は、このまま時が止まってしまえと、本気で願った。
 いつまでも、いつまでも。

「ところで、翠のお尻に興味を持つような客はいなかったのかい?」
「ゼロってわけじゃないけど、アタシが全力で拒否してた」
「そうか。でも、オレの求めには応じてくれたんだね。嬉しいよ」
「う……、うん。何でもしてあげるって言ったし……」
「可愛いなあ、翠は!」
「うぎゅ! 苦しいよ、お父さん! もう、今日はおしまい! お母さんが帰って来ちゃうよ!」
 抱き締められた翠は、父親を突き飛ばしてベッドから降りた。
「ほら、お父さん、さっさとお風呂に入っちゃわないと」
「お、一緒に入るつもりかい?」
「べーっだ! 時間短縮の為よ。お母さんが帰ってくるまで時間が無いんだから、お父さんはシャワーだけでさっさと出てよね」
「ははっ、分かったよ。オレの可愛いお姫様」
「あと! お父さんのしたいことはしてあげるから、先に何がしたいか言ってよね。いきなりお尻とか、心の準備が出来ないから!」
「善処するよ」

   *

「最近は随分、お父さんと仲が良いのね」
 翌朝、トーストにバターを塗りながら、早季子は何気ない風に話しかけてきた。康史は今日、仕事が休みなので、まだ起きてきていない。なので、ダイニングには翠と母親の二人っきりである。
「そう? いつも通りだよ?」
 と、言いつつ、翠は内心ギョッとしていた。
「ちょっと、嫉妬しちゃうわね」
 翠は父親と身体の関係となっているので、言ってみれば、母親は恋敵といえる。父親との蜜戯は当然、母親には秘密なので、早季子のジェラシーは、ほんの少しの優越感を翠に与えた。だがそれは本当に少しであって、康史が妻を愛していることは、父親の口から何度も聞いている。自分と父親の関係は決して表に出してはいけない、だから、母の嫉妬心にちょっとした嬉しさを覚えつつも、翠は当り障りのない答えを返した。
「お母さんてば、何言ってるの。娘の前でもしょっちゅうキスするくらい、仲が良いのに。クラスの友達に聞いてみたことがあるけど、そんな夫婦ってなかなかいないってさ」
「え? ……ああ、そうね。私と康史さんはラブラブだものね」
「うわっ、ご馳走さま……」
 母親の惚気を聞くのは初めてではないが、父親と恋人関係となる前はそれに軽い苛立ちを覚えていた。しかし、父親と淫らな関係となった今では、康史と想い合っているという確信のせいか、早季子の惚気は余裕を持って聞き流すことが出来た。
「いいなあ、お母さん」
「翠もさっさと恋人を作ったらいいのよ。千佳ちゃんが待ってるわよ」
(ありゃ、ヤブヘビだったか……)
 いつもと変わらない母親の惚気っぷりに安心した翠は、バターとマーマレードをたっぷり塗ったトーストに噛り付いた。
「考えとく」

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