「ただいまぁ」
「おかえりなさい。今日はどこに行っていたの?」
 真奈美との話を終えた翠は、そのまま真っ直ぐに自宅に戻った。ダイニングで夕食の用意をしている早季子に声を掛け、リビングのゆったりとした本革製のソファに身体を沈める。
 お父さんと会社でセックスしてた、などとは言えるはずもない。ちょっとした破滅願望から正直に言ってみたい気持ちが僅かにあるが、それは本当に僅かである。それを告白したときの母親の顔を想像して、翠は無駄な破滅願望を抑えつけた。
「駅前のおっきな文房具屋さんに行ってたの。ああいうところって、何時間でも飽きないよね」
 翠は、あらかじめ用意していたストーリーに基づいて答えた。この辺のアリバイ作りは、援助交際を繰り返していたころからやっていたので、翠にとってはお手の物だ。真奈美に対しては、康史が口裏を合わせてくれるだろう。赤坂のレストランと康史自身の身体を使って、であるが。
「一人で行ってたの?」
「うん」
「やっぱり、友達がいないんじゃ……」
「いるってば! 前から言ってるでしょう? アタシは一人が好きなの!」
「変わってるわよねぇ。映画とかも一人で行くのが好きみたいだし。翠も年頃なんだから、恋人の一人や二人、いてもおかしくないのに……」
「一人や二人って……。恋人は普通一人でしょ?」
「そうとも限らないわよ。お母さんが鈴城に通っていたころの話だけどね……」
「まさか、お母さん、恋人が何人もいたとか……」
「違うわよ。お母さんじゃなくて、大先輩に、そういう人がいたんだって。学園がハーレムみたいな状態だったらしいわよ」
「なんか……、鈴城が変な場所に思えてきた……」
 学園については明日、千佳に色々聞いてみようと翠は思った。どうもあの学園には、翠の知らないことが結構あるようだ。
「服がシワになっちゃうから、早く着替えてらっしゃい。もうすぐ夕飯よ。先にお風呂に入ってもいいけど」
「はーい」

「アタシは、お父さんが好き。お父さんと思いのままにセックスがしたい」
 自分の部屋に上がった翠は、外出着のままベッドに寝転んで天井を見上げた。そして、自分の想いを今一度、確認するように言の葉に乗せる。
 康史と関係を持っている年上の女性との軽い雑談を通して、自分の父親の魅力を探ろうとした翠であったが、真奈美との話は意外に重いものを少女の心に残した。
 『良い父親で羨ましい』というのが、真奈美の康史に対する評価である。
 終始、笑顔のままで自分の過去を真奈美は話してくれたが、やはりあれは、それなりの罪悪感があってのものだったのだろうか。冷静に考えて、真奈美が不愉快なはずの過去をあんなに正直に話してくれたのは不自然である。上司の娘とは言え、社会にも出ていない小娘など適当にあしらうことも出来たはずだ。
 だが彼女は、話相手の少女の父親と関係している。それに対する負い目があるからこそ、真奈美は人には話したくないはずの過去も正直に話してくれたのだろう。
「お父さんがキライ……、か……」
 翠はその感覚が分からない。
 翠にとって父親は幼い頃から好きな存在であったし、康史の中に男を意識しだしてからはますます好きになった。そして、身体を合わせる関係となった今では、心から大好きであると言える。今の翠の心は、愛しい父親で占められていると言ってもいい。
 また、これまで翠の周囲にいたクラスメイトや友人たちの中にも、父親を心底嫌っている者などはいなかった。ましてや、父親に対して生理的嫌悪感を持つなど皆無だ。
 翠の通う鈴城女子学園は、良家の子女が通うお嬢様学校である。学園の女生徒たちは大抵が裕福な家庭で育っており、家族関係が円満であることがほとんどである。まれに、古い家柄などから厳しく躾けられているクライメイトもいたが、彼女らも厳しい親の愚痴をこぼすことはあっても、嫌っているということはなかった。裕福である、経済的に余裕がある、という家庭は、それだけで子供の教育にとって良い環境であると言えるのだ。
 だから、父親に対して明確な拒絶を示した真奈美の存在は、翠にとって驚きであった。
「お父さんは……、お父さんもアタシの事を好きだった。真奈美さんのお父さんも、真奈美さんが好きだったのかもしれない。アタシのお父さんみたいに、ただ好きなんじゃなくって、真奈美さんの全部を愛したいと思ったのかもしれない……。でも……」
 男と女が、お互いに想い合っていた。それは、とても幸せなことであろう。今の翠と康史は、その幸せの最中にいる。
 では、男は女を好きであったが、女はそうではなかった場合は? それならば、男がフラれて終わるだけである。だが、男と女が、血の繋がった親子であったのなら話は異なる。娘がいくら嫌がったところで父親は離れないし、力ずくで来られたら幼い少女に逃れる術は無い。
『家の中で居場所が無いって感覚、分かる?』
 翠は、得体の知れない寒気を感じて身を震わせた。
「お父さんの代わり……、なんだろうな、真奈美さん……」
 真奈美が康史に興味を持ったのは、康史の中に理想的な父親像を見出したからであろう。
「それなら本気になることもないだろうし、たまに貸してあげてもいいか……な……?」
 父親と愛し合っているという確信から、翠は真奈美と父親が関係していることを受け入れた。貸してあげる、というのは不遜な物言いだが、それは父親に愛されているという自信の表れとも言えた。それに、昨日の母親の言葉もある。
「アタシは真奈美さんのことを……………………、好き……? うん、好きだな。美人だし、優しいし、お父さんの仕事を助けてるし……」
 自分が、母親を差し置いて父親と関係している、というのは常に意識している。だから、そんな自分が男に対する独占欲を発揮するわけにはいかないとは思う。
「それに、自分を売ってた女が、好きな男を独占なんて、おかしいもんね」
 翠は、自分がセクシャルな禁忌の薄い人間だとは自覚している。でなければ、援助交際という名の売春など出来るはずもない。
 自分は父親が好き。真奈美も好き。そして、真奈美も父親に好意を持っている。なれば、この三人で不幸になるものはいないということになる。
「となると、お母さんはどこまで知ってるかってのが問題ね……」
 早季子は、真奈美のことに気付いてはいないのだろうか。さらに、康史が女子高生を買っていたことにも、本当に気付いていないのだろうか。
 これは、確認するのがとても難しい。下手に詮索すれば、藪を突いて蛇を出すことになってしまう。
 両親のラブラブっぷりを毎日見ている身としては、早季子がそんな疑いなど露ほども持っていないように思える。しかし、昨日の母親に聞かされた女性観を思い出すと、早季子は何もかも知ったうえで康史と愛を交わし合っている可能性もある。
「むー、女ってコワイな……」
 何か、自分の母親に対するイメージが随分と変わってきたように思える。もちろん、これは翠の勝手な妄想だ。事実としてあるのは、康史が娘と関係している。康史が部下の女性と関係している。そして、康史は女子高生を頻繁に買っていた。この三点である。
 ヤブヘビを避けるのは大前提として、翠は両親の事をもっとよく知ろうと思った。ここ数日で翠は痛感したが、同じ屋根の下に住んでいる家族であっても、知らないことは意外と多いということである。そもそも、翠自身にも秘密はあったのだから。
 翠は援助交際をしていた。
 康史は女子高生を買っていた。
 では、早季子は?
「お母さんがバイだったなんて、全然知らなかったしなぁ……」
 もっとも、自分の性的嗜好を家族に伝えることは、あまり無いであろうが。
「……よし!」
 自分のこと、父親のこと、母親のこと、そして、真奈美のこと。
 ここ数日で、一人の少女がその身に受けるには中々重い出来事が立て続けに起きた。だが、翠にとって、父親への想いは軽いものだ。むしろ、身体が浮き上がるくらいの出来事である。
 軽く気合を入れてベッドから跳ね起きた翠は、夕食前にお風呂に入ってリフレッシュしようと、外出着を脱ぎ始めた。