「あー、えっと……」
(アタシのお父さんと、どんなセックスをしてるんですか? ……なんて、聞けるはずないし)
 なんとなく勢いで真奈美を誘ってみたが、何を聞けばいいのだろうか?
 さっきは翠の前で、真奈美が何かしらの秘密を握っていることを仄めかしていったが、その秘密についてはすでに康史から聞いている。もちろん、真奈美は秘密が完全にバレているなど思いもしないだろう。娘に対して自分の不倫を告白する父親など、常識的に考えてあり得ない。おそらくあれは、康史に対する牽制であったに違いない。
「もしかして、社長のことかしら?」
「え、ええ、そうなんですけど……」
 援助交際の場では身体を魅せつつ年上の男をあしらい、口と手で男のアレを文字通り手玉にとってきた翠であるが、考えてみれば、年上の女性とこうして面と向かって話をするのは初めてである。それに、目上の人に敬語で話をされるのは、どうにも落ち着かない。翠のクラスメイトの中には、メイドや家政婦を普通に上の立場で使っている者もいるが、裕福であるとは言え普通の家庭で育った翠にとってはあまり馴染みのない感覚だ。
「えと、ゴメンなさい、真奈美さん。お父さんの娘ってことで、敬語で話してくれてるんだと思うんですけど、敬語は無しでお願いします。なんか、落ち着かなくって……」
「そう?」
 真奈美は、翠の肩越しに談話エリアからエレベーターホールを見回した。役員フロアは元々静かであるが、今は翠たちの他には誰もいない。
「それじゃ、普通にさせてもらおうかしら。私の方も、ボロが出ると困るものね」
 とは言え、真奈美と最初に会ってから数年が経過しているが、いつでも丁寧な話し方で、年下の自分に対しても礼を失した言葉遣いなど聞いたことがない。
 さて、真奈美を誘ったものの、何を聞くべきか……
「えと……、真奈美さんは、お父さんのこと、どう思ってるんですか?」
「どう?」
(……………………しまったあああっ! 直球過ぎた! バカバカバカ! アタシのバカ!)
 少し驚いたような顔を見せた真奈美であったが、すぐにいつもの表情に戻って答えた。
「もちろん、尊敬する上司よ。アルバイトを含めて二千人を超える従業員を抱え、店舗数が五十を超える飲食店チェーンの社長。後発ながら、攻めの出店計画で順調に売り上げを伸ばしている飲食店業界の風雲児。しかもまだ四十代半ばで将来性も期待できる。そんな人の秘書ですもの。仕事のし甲斐があるわ」
 まるで会社のプレゼンテーションのように、真奈美の口からはスラスラと自分の上司に対する言葉が出てきた。だが、それは本当にプレゼンみたいであって、真奈美自身の言葉とは思えなかった。そして、翠の聞きたいことではない。
「そうやって聞くと、お父さんって結構すごく聞こえます」
「すごいのよ、実際」
「ですよねー……」
 もちろん、そんなことは翠も分かっている。
 そもそも翠が聞きたいのは、康史の男としての魅力である。大企業を経営する辣腕ぶりも男の魅力の一つであろうが、ただそれだけで女が寄ってくるのであれば、大企業の社長はみんなハーレム状態ということになってしまう。
(あれ? でも、もしかしたら、本当にそうなのかな? 『社長の愛人』なんて言葉は珍しくもないし……)
 男の甲斐性と言えば、やはり女である。一昔前の封建社会であれば、権力と財力を継承するため、力のある者は複数の女性を妻とするのが普通であったし、ステータスでもあった。では、一夫一婦制が定められた現代の日本ではどうであろうか。実は、本質的なところでは同じなのである。家同士の繋がりの為の政略結婚など珍しくもなく、そこに愛が無いこともよくある話だ。そして、そう言った婚姻関係を結んだ男が愛を求めた結果、妻以外の女性を愛人とするのもよくある話である。さらに言えば、妻を含め、周囲の人間もそれを黙認しているのだ。表向きの世間体さえ整っていれば、逆に自由であるとも言える。
「でも、翠さんが聞きたいのは、そう言うことじゃないのよね」
 翠の求めに応じたざっくばらんな口調で、真奈美は少女の本心を突いてきた。
「あ、あはは……、はい、その通りです……」
「社長……、いえ、お父様のことが好きなのね」
「ええ、はい……」
 半ば自暴自棄な気分で翠は真奈美の言葉を肯定した。年上の女性を相手に腹芸を挑むなど、土台無理な話であったのだ。やはり、色恋に関することは、なんであれ素直が一番のようである。
(もう、どうにでもなれ……)
 だが一方で、翠は心の奥底に冷静な部分を残していた。家族として父親が好きなのは普通である。ファザコンであってもそれは珍しいことではない。だが、父親を異性として見ることはタブーである。真奈美には、自分がただのファザコンであると思わせておかなければならない。翠はバレないように、硬くなった身体からゆっくりと力を抜いていく。
「いいわよね。父親が好きっていうのは。さっき社長室で、私が翠さんの年には父親から離れようとしたって言ったけど……」
「はい」
「どうしてだと思う?」
「えと……、親の干渉が強くって、早く親離れがしたかった……から?」
「そうね。大まかなところではそれで合ってるわ」
「大まかなところで、ですか。……細かなところでは?」
「問題はそこなのよね」
 真奈美は自嘲気味な笑顔を浮かべた。普段の大人然とした真奈美のイメージとは違う、弱々しい雰囲気を醸し出している。
「私ね、父にイタズラされてたの」
「え、イタ……ズラ……? それって……」
「バレたら、新聞に載ってしまいそうなこと」
 年上の女性に痛々しい笑顔を見せられて、翠は自分の身体が気持ち悪く冷えていくのを感じた。冷たい感覚が肩から下へ降りていき、自分の身体の熱が足元から深々としたカーペットに広がって逃げていくようだ。
 真奈美が自分と同じような経験をしていた、とはとても言えないだろう。心の向いている先がまるで違う。父親に対する感情が、あまりにもマイナス過ぎだ。
「あの人、小学校の頃はいつも一緒にお風呂に入りたがっていたわ。私は身体が早いうちから女っぽくなってきたから、それがとっても恥ずかしくてイヤだった。でも、父はそんなこと全然構わないで入ってくるの。身体を洗ってあげるとかいって、べたべた触ってくるの」
「そ……、それは……」
「さすがに中学生なってからは、母が止めてくれたけど。でも、ウチの母はあんまり父に強く出れなかったから、正直頼りにならなかったわ。母が用事で家にいない時は、本当にイヤだった。家の中で居場所が無いって感覚、分かる?」
 翠は自分の為に康史のことを他人から聞きたかったのだが、出てきたのはとんでもない告白であった。だが、場を設けたのは自分である手前、真奈美の話を遮ることも出来ない。
「私、実家は長野なの。中学の制服が、今では化石みたいなものだけれど、昔のままのセーラー服だったのよ。その私の制服姿を見る父の目が、本当にイヤだった。あからさまに舐めまわすようで……。だから、高校は寮のある東京の女子校にしたし、就職もそのまま東京にしたの」
「お父さんが、キライ……、なんですか?」
「ええ」
 目の前の女性は、笑顔のまま明快に断言した。
「生理的に受け付けないの。血の繋がった実の娘に対して欲情するなんて、人間として欠陥があるに違いないわ」
 真奈美は、中学生時代のことについてはさらっと流したが、実際は何事無く平穏というわけではなかったのだろう。
「だから、正直、私は翠さんがとても羨ましい。お父様と本当に仲が良くって、私から見ると、理想の親子って感じなの。……唇にキスをするくらい、ちょっと過剰なスキンシップとかね」
 翠は心の中で脂汗を流していた。さっき真奈美の前で見せたキスは、唇が触れるだけの本当に挨拶のようなキスであり、親子の情を超えたものではないように見える。だが、その実態は男女のそれであり、レベルで言えば新婚夫婦が朝のいってらっしゃいのキスをするのと変わらないだろう。
 実の娘に劣情を抱くというのは、やはり異常である。可愛さ余って、という感覚とは次元が違うのだ。
 性欲というのは、自分の遺伝子を残そうとする男の本能である。そして遺伝子は、近親交配の場合に異常が出やすい。普通はこれを本能で理解しているがゆえに、近親者に対する性欲はほとんど発生しない。権力や財産維持の為にこの本能を抑えつけ、近親交配を繰り返したのがかの有名なスペインのハプスブルク家だが、結果は歴史の伝える通り、多数の異常者を生み出して滅亡となってしまった。
 封建社会であれば、権力の委譲に血縁が重視されるために血族婚が多くあったのは仕方のないことである。しかし、経験則からそれがまずいとも分かっていたから、積極的に外の娘を嫁ぎ入れたりもしたのだろう。
 そして近代では科学的に、近親交配による遺伝子異常が証明されており、それを法によって規制しているのだ。
 それでもなお、近親者に対する恋愛感情が生まれたとしたら……
「あ、あはは、そんなに仲が良く見えます?」
「ええ。私も、あんな父親が欲しかったわ」
 だが、それらの生物的、社会的、倫理的な常識を抜きにして考えても、真奈美は、『父親』というものに対して幻想を抱いている、と翠は思う。
 父親との恋愛関係が無ければ、三嶋家は確かに夫婦親子の関係が円満であり、まさに理想的な家庭である。そして、父親と恋仲であっても、今のところ翠と両親は良好な関係を維持している。ただ一点、康史の妻にして翠の母親である早季子にバレなければ、であるが。
(ああ、そういう事か……)
 つまり、真奈美は康史の中に『理想的な父親』を見出したのだろう。その想いがどんな変化を見せてセックスにまで到達したのかは分からないが、『父親』を求めて康史と関係を持ったと、もしかしたら本人も気付いていないのかもしれない。
 では、翠の父親に対する気持ちは?