普段、家でするのと変わらない雰囲気で翠と康史は話しているが、話の内容は、父と娘の会話としてあり得ない。二人の会話の中で、何度『セックス』という単語が出たであろうか。
 それに、深刻な雰囲気などまるでないが、これは父親の告解でもある。父親が別の女と関係を持っている。それに対する翠の反応は、やはり単純なものではなかった。今の翠は、父親の娘にして恋人なのだ。言葉尻に嫌味の成分が含まれてしまうのも仕方のないことであろう。
「妬いてるのかい?」
「……! 別に。真奈美さん、美人だもんね。脅されたみたいになってるけど、お父さんも満更じゃなかったんでしょ?」
「まあな。でも、翠や母さんとのセックスは愛情たっぷりなものだけど、彼女とのセックスは単にセックスを楽しむだけのものだな」
「むー、男の人ってやっぱりそうなの?」
「『そう』、とは?」
「出したら満足なのかってこと」
 これもまた、父親に対して年頃の娘が聞くことではない。さらに言えば、恋人に対して、他の女とのセックスがどんなものか聞くのも普通ではありえない。
 だが、翠も康史も、そう言った世間一般の倫理観というものがかなり欠如しているようである。父と娘が恋仲となるきっかけが援助交際だったのだから、それも当然かもしれない。二人ともに、そもそものところで、セクシャルな禁忌に対する意識が希薄なのだ。
(お母さんも、そんなところがあるみたいだし……、遺伝かな?)
 翠は、父親への思慕を誤魔化す為に援助交際をしていた。そんな自分を客観的に見た時、自身が普通ではないという自覚はあった。同時に、父親と肉体関係を結ぶまでは、父親も母親もごく普通の常識人だと翠は思っていた。しかし、ここ数日で両親のセクシャルな倫理観が非常識なものであると知った翠は、自分の性的嗜好に対して何か妙に納得することが出来てしまった。どうやら、似た者夫婦の間に、両親の遺伝子を色濃く受け継いだ娘が生まれてしまったようである。
「そうだな……、一定の満足感がある、というのが正しいかな。翠はどうなんだい? セックスで満足したことはないのか?」
「うん……、お父さんとのセックスが初めて、かな。あんなに満足したこと無いよ。いつもは相手の人がイッたら終わりだもん」
「まあ、援助交際じゃ、それも当然か」
「だから、妬いてるってのは少し違うと思う。お父さんが、アタシやお母さんじゃない人と、どんなセックスをするのか。してきたのか、すごく興味があるの。面白いってのは、そういうことよ」
「なるほどな」
「でも、お父さんが女の子を買っていたのって、アタシの代わりだったんだよね?」
「ああ、そうだよ。実の娘に手を出すなんて非常識だからね。外道の所業だ」
「どの口で言うかな……。それじゃあ、真奈美さんみたいな人には、あんまり興味は無かったの?」
「そんなことはない。男はみんな、基本的に女が大好きなんだ。美少女でも美女でも美熟女でも、据え膳は遠慮なく食べるよ」
 父親の、恋人を前にして全く悪びれない態度に、翠は白い眼を向けた。
「この間、お母さんとセックスしてるとき、『女はキミだけ』、とか言ってなかったっけ?」
「あー、そんなコトも言ったっけな……。まあ、愛情と欲望は別物だからね」
「そんな、別腹みたいな言い方されても……」
 さっきの父親との濃密で濃厚な愛欲に満ちたセックスをしていなければ、康史の物言いは詭弁と思っただろう。だが、これまで援助交際で愛のないセックスを経験してきた翠は、初めて愛情たっぷりのセックスをすることができた。確かに、心と身体の満足は別物である。しかし、同時に満足することが出来れば、その愉悦感は何倍にも感じることができる。だから、愛情と欲望は別物という父親の話を、翠はあっさりと受け入れることが出来た。
 あいかわらず、白い眼は父親に向けたままではあるが。
「それに、お父さんのストライク・ゾーンってけっこう広いんだ」
「下は十二から、上は同い年くらいまでかな」
「広! それに十二! アタシより年下でもオーケーなの!?」
「今の翠より、な」
「ん? どういうこと?」
「オレが翠を抱きたいと最初に思ったのは、翠が中学生になる前くらいだよ」
「ああ、一緒にお風呂に入ってたとき、お父さん勃起してたね。子供のアタシの身体に欲情してたんだ」
「女の子が『勃起』とか言うんじゃない」
「くすっ、変なの。『セックス』はオーケーで、『勃起』はダメなんだ。なんで?」
「ただのオトコのこだわりだよ。可愛い娘には、お淑やかにしてもらいたいもんだ。可愛い女の子に口汚く罵られたり、卑猥なコトを言わせまくることに愉しみを覚える人もいるけど、オレはそうじゃない」
「お父さんの趣味が、まだイマイチ分かんないな。下着なしで街を歩かせるくせして、変なところで常識っぽいことを言うのね」
「セックスなんて知らない、男の人の裸なんて見たこともない、って感じの娘がベッドで乱れると、すごく興奮するな」
「そうなの?」
 ネクタイをかっちり絞めて仕事姿に戻った康史は、同じように来た時の服装に戻った翠に近づいてきた。腰に手を回し、耳元に顔を近付ける。
「そうだよ。さっきの翠は乱れっぷりは最高だった。一週間前の清楚な翠からは想像もできないからね」
「……!」
 翠は、自分の顔が一気に赤くなるのを感じた。

「それじゃ、お父さん、お仕事頑張ってね」
 社長室に残って仕事をする父親に声を掛けてから、翠は社長室の扉を閉めた。踵を返して、エレベーターホールへ向かう。
「お話は終わりました?」
「……え、話?」
 康史の秘書である真奈美が、受付カウンターの向こうから声を掛けてきた。
 社長室は役員フロアの一番奥にあるが、エレベーターホールの一角に受付を備えた秘書課のスペースがある。同じフロアの反対側には、他の重役の為の役員室や会議室があり、秘書課は社長以下重役たちのために日々働いている。真奈美の周囲には主のいないデスクがいくつもあるが、おそらく、外出している重役に同伴しているのだろう。
「ええ。進路について、社長に相談に来たのでしょう?」
(お父さんってば、そういうことは言っておいてよ……)
 どうやら、康史は自分の秘書に対しては、今日の翠の訪問は進路相談だと説明していたようである。
「はい。まだ決まったわけでないですけど、父には話を聞いてもらいました。お仕事の邪魔してごめんなさい」
「大丈夫ですよ。二時間なら問題ありませんから」
(二時間とか……。あれの時間みたい……)
 真奈美の口から出た『二時間』という単語に、翠は妙な引っ掛かりを覚えた。翠にとって二時間とは、『ご休憩』の時間である。自分と父親のしていたことを考えてついつい連想してしまったが、もちろんそれは気のせいであろう。
 それより翠は、真奈美が持っている父親との秘密の方が気になった。
(彼氏がいるのに、職場の上司と不倫……。しかも、真奈美さんの方から誘ったみたいだし……)
 翠の目から見て、父親の康史はカッコいいと思う。娘としては友達に自慢できる父親であるし、恋人としては街行く人に大声で自慢したくなる男だ。恋は盲目という言葉も知っている翠は、自分の贔屓目を差し引いて考えてみたが、それでもやはり、康史はモテるのだろうなと思う。
 ただ、自分の贔屓目は消しきれないとも分かっているから、他の人間の意見も聞いてみたいと思った。
 そこで、真奈美である。いつも社長である父親にくっついており、自宅にも来たことがある。美人で、有能で、落ち着いた大人の女性。父親の想い人としては母親の早季子が翠の理想像であるが、単に憧れる大人の女性ということであれば、真奈美こそが理想的な存在だ。
 そんな大人の女性が、脅迫という危険な手段をとってまで康史と関係を持った。真奈美が、康史のどこに惹かれたのか、翠は大いに興味がある。
「真奈美さん、ちょっとお話聞いてもいいですか?」
「私と、今?」
「はい。多分、お父さん、しばらく仕事に集中していると思うから……」
 真奈美は秘書課の課長席に視線を向けた。今、秘書課には、中年のでっぷりした秘書課長と同僚の女性秘書がいるだけである。課長は、話は聞いていたとばかりに、肉付きの良い手でOKサインを出した。
「翠さんと、休憩スペースに行ってますね」
 一言断って、真奈美は翠に先立って休憩スペースに向かった。
 休憩スペースは談話エリアとも呼ばれており、同じフロアの一角にある。役員フロアだけあって、設置されているテーブルもソファも重厚なものだ。窓際にはカウンターがあり、地上三十二階からの眺めが素晴らしい。談話エリアの隅には隔絶された喫煙所があるが、禁煙の流れにある世相を反映してか、随分とこじんまりした空間である。喫煙派にとっては、さぞ肩身が狭いであろう。
 翠はもちろん、真奈美にも喫煙の習慣は無いので、二人は窓に近いソファセットに向かった。
「コーヒーでいいかしら?」
「あ、はい」
「砂糖とミルクは?」
「一つずつで、お願いします」
 慣れた手付きでコーヒーサーバーから二人分のコーヒーを用意した真奈美は、翠の正面のソファに腰かけた。
(美人だなぁ……。お父さん、本気で顔で選んだんだろうな……)
 正面に座る父親の美人秘書に、翠は素直に感心した。
「それで、お話って何かしら?」