「……アレ?」
 ラクロス部の活動が終わり、部室棟でシャワーを浴びていた翠は唐突に気がついた。
「千佳って、アタシのお父さんと会ったこと、あったっけ?」
 千佳とは高等部に入ってからの付き合いなので、出会ってから一年と二か月ほどである。その間、お互いの家に遊びに行ったことは何度もあるが、千佳が三嶋家に来た時には、父親の康史は不在だったために会ったことは無いはずである。
 しかし、昼休みに翠が千佳にからかわれた時、彼女は確かに翠の父親がカッコいいと言っていた。
「アレえ……?」
 自分が忘れているだけなのであろうか。それとも、スマートフォンに入っている写真でも見せたことがあったのだろうか。あるいは、父親のことを翠が何度も話しているうちに、千佳の中で「カッコいい父親」というイメージが固まってしまったのだろうか。
「まあ、いいか。後で聞いてみよう」
 そこはかとない不安を感じたものの、考えても分からないことなので、翠は千佳に直接聞いてみることにした。
 シャワーを浴びてさっぱりした翠は、ラクロス部の仲間と別れの挨拶をすると、いつもの待ち合わせ場所に向かいながらスマートフォンのチェックをした。すると、不在着信とメールの未読が表示されていた。
「校門の前で待ち合わせ?」
 いつもは、部室棟と特別教室棟の間にある花壇のベンチで待ち合わせをしている。美術部の千佳とラクロス部の翠にとって、コモンスペースにある花壇のベンチは丁度いい距離なのだ。そのまま昇降口へ出るのにも都合良いので、どちらが先にクラブ活動を終えても、二人はそこを待ち合わせ場所にしていた。
 だが、今日は校門の前で待っているという。待ち合わせ場所の変更自体は珍しいことではないので、翠はなんの疑問も持たずに校門へと向かった。

 鈴城女子学園は、良家の子女が通うお嬢様学校である。当然、関係者以外は立入禁止となっているので、校門の脇には守衛室が設置されている。守衛室には常に屈強な警備員が二名以上待機していて、教師と生徒以外の人間が学校に入るにはここでのチェックが必要となっている。ちなみに年に何回かは、片思いを拗らせたストーカー紛いの男が侵入を試みるのだが、全員が格闘技の有段者で構成された警備員らは、ただの一人も門の突破を許していない。
「んん? 何だろ、あの人だかり」
 鞄とラクロスのスティックを持って待ち合わせ場所へ向かった翠は、いつもなら守衛がいるだけの校門に数人の女生徒たちがたむろっているのに気が付いた。彼女らは皆、門の外を見ており、心なしか華やいだ雰囲気だ。
「誰か、有名人でも来てるのかな?」
 翠は何でもないことのように呟いたが、それも当然で、学園に有名人が来るのは珍しいことではない。お嬢様学校だけあって、鈴城女子学園のOGには有名人が結構いる。有名であるにも様々な種類があるが、鈴城のOGは大抵が技能を要する分野で名が売れていることが多い。分かりやすいところではスポーツ選手であったり、音楽家であったり、中には登山写真家や女性落語家などもいたりする。
 屈強な割に愛想のいい警備員に会釈しつつ校門をくぐろうとした翠の耳に、たむろっている女生徒達の黄色い声が聞こえてきた。どうやら有名人というよりは、単に見た目の良い男がいるだけらしい。
 この手の騒ぎ方をしている娘というのは、対象に目が行って周囲に気を配らないことが多い。校門で固まっている女生徒達を邪魔に思いながら、翠は彼女たちの視線を追ってみた。
「……お父さん!」
 驚いたことに、彼女たちは翠の父親を見て騒いでいたらしい。
 だが、それも当然かもしれない。背の高い身体に似合う仕立ての良いスーツ、薄い色合いで形の良いブランド物のサングラス、そして片手にはタバコを持って紫煙をくゆらせている。そんな見た目の良い壮年の男が真っ赤なスポーツタイプの高級車にもたれかかっているのだ。それこそ、有名俳優が撮影でもしているのではないかという雰囲気を醸し出している。年頃の少女たちが色めき立つのも仕方がないといった様子だ。
 だが、翠の眼を引いたのは、父親の前に立って親し気に話している女生徒であった。
「なんで、千佳とお父さんが……?」
 駅の近くで待ち合わせようとしていた父親が学園の前にいたことも驚きであったが、その父親が千佳と気さくに話をしているのがさらに驚きであった。やはり、二人は面識があったのだろうか。
「お父さん! 千佳!」
「翠、おそーい。おじさまの首が長くなっちゃったわよ」
 翠の呼びかけに答えたのは千佳で、父親の康史は煙草を挟んだ手を軽く上げただけである。
「『おじさま』って……」
 自分の父親に対するクラスメイトの呼び方に、くすぐったくなるような違和感を覚えて、翠は何とも言えない気分になった。だが、少し考えてすぐに思い直す。普段はどれだけざっくりとした口調で話していても、千佳は良い処のお嬢様なのである。目上の者に対する礼儀は弁えているのだろう。むしろ翠が知らないだけで、格式ばった場所では深窓の令嬢としてお淑やかに振舞っているのかもしれない。
「お父さん、なんでもうここに居るの? 仕事は?」
「かなり早く終わったんでね。迎えに来たんだ」
「で、なんで千佳と仲良く話してるの? っていうか、お父さん、千佳を知ってたの?」
「それは……」
「今日が初めてよ。会ったのは」
 康史の答えに被せるようにして千佳が答えた。
「それじゃ、なんで……」
「なんでって……、翠の部屋で、おじさまの写真を見せてもらったことあるじゃない。家族写真とかといっしょに、壁に貼ってあったでしょ? 今日は翠と約束があるって聞いてたから、ここで見かけたときすぐに気付いたわよ」
「ああ! そう言えば! そっかそっか。千佳が何でお父さんの事、カッコいいなんて言ったのか分かった。さっきから疑問だったのよ」
「さっき? 今じゃなくって?」
「うん。昼に千佳がお父さんの事をカッコいいって言ってのが変だなって思ったのが、ついさっき」
「遅!」
「えーと、改めて紹介するね、お父さん。この娘がアタシの親友、遠山千佳」
「人の親に親友とか紹介されるの、照れるね」
「で、こっちがアタシのお父さん」
「知ってる知ってる。翠の大好きな人でしょ。写真に入れて部屋に飾っておくくらいだもんね」
「違……! ん、もう!」
「なんてね。それじゃ、翠、また明日! お父さんとのデート、楽しんできなさいよーっ!」
 そう言って、くるりと背中を向けた千佳は、これで終わりとばかりに小走りで去っていった。
「もう! そんなんじゃないんだからねーっ!」
「あははっ! またねー……」
 スカートを翻して去っていく姿は、とても良家のお嬢様とは思えなかった。あの様子を見れば、翠でなくとも編入組と思ってしまうだろう。
「元気な娘だね」
「元気すぎるよ。あれでお嬢様だっていうんだから。人は見かけによらないってのはああいうのを言うんだと思う。ところでお父さん!」
「な、なんだ?」
 康史の方へ向き直った翠は、父親を軽く睨みつけた。
「千佳と随分仲良く話してたけど、余計なことは言わなかったでしょうね。その……、アタシたちの事とか……」
「嫉妬かい?」
「そんなわけないでしょ!」
「もちろん、何も話してないよ」
「そっか。まあ、普通は思わないよね。アタシとお父さんが、その……」
 その言葉を口にするのは、何となく気恥ずかしい思いがして、翠は口ごもってしまった。
 だが、康史は娘の逡巡など気にすることなく言葉を継いだ。
「恋人同士ってことかい?」
 昨日、父親と心も身体も繋がったことは翠にとって至福の出来事であったが、改めて自分と父親との関係性を言葉にするのは躊躇われた。しかし、昨日のベッドで娘の葛藤など歯牙にもかけずに手を差し伸べてきた康史は、今も翠の迷いなど軽く破り、娘がもっとも欲している言葉を与えてくれたのだ。
 父親の言葉に、翠はグッと来るものがあった。身体がのぼせ上がるような感じがして、顔が熱くなってくる。
「お父さんってば、ズルい……。なんでそんな簡単に言えるの?」
 翠は頬を少し赤らめながら、さっきとは別の意味で愛しい男を睨みつけた。
「ズルいってのはヒドイな。まあ、大人だし、お前の父親だしな。それじゃ、オレの可愛いお姫様、ディナーへとまいりましょうか」
 そう言って、康史は車の助手席のドアを開けた。そして軽く腰を折り、娘を導くように手を取る。
 それがまた随分と様になっていたせいか、背後でこちらを興味津々の体で見ていた女生徒達が黄色い声を上げた。
(ああ、明日、学校でいろいろ言われそう……)
 心の中でぼやきつつも、優越感を感じながら翠は車に乗り込んだ。