「お兄さん!」
「あん? えと、静音の友達だっけ? 同じ文芸部の……」
 校門のところで所在無げに妹を待っていた聡は、中等部の女の子二人に声を掛けられた。
 放課後、クラブ活動の時間も終わり、生徒たちがまばらに下校している時間帯だ。グラウンドの方からは、まだ活動を続けている体育会系クラブの掛け声が聞こえてきているが、校内の雰囲気はすでに寂しいものになっている。
「急いで!」
 と、言うなり、二人は聡の手を取って走り出そうとした。
「ちょちょ、待て待て! 俺は静音を待ってるんだよ」
「その静音ちゃんが、例の男子たちに連れていかれちゃったの!」
「……え?」
「なんか、ヤバイ感じがするんだけど、私たちだけじゃコワイから……」
「早く、早く! ホントにヤバそうだよ!」
 焦る様子の下級生たちだが、どうにも現実感が無い。
「連れて行かれたって、どこに?!」
 のんびりした返答に、女の子たちが少しイラついたのがわかった。
「四階奥の、男子トイレ……」
「……! あそこか!」
 静音が連れて行かれたという場所を聞いて、それまでのほほんとしていた聡の全身が総毛立った。
 特別教室棟の四階、その一番奥にあるトイレは、いわくつきの場所だ。中等部と高等部が共通に使用している特別教室棟には音楽室や美術室があり、文科系のクラブ活動が行われている。しかし、最上階の視聴覚教室を使っているクラブは無く、増改築の為か少し入り組んだ場所になっており、普段は人気がほとんど無い。
 聡も二年前は静音と同じ中等部に通っていたが、当時、四階の一番奥のトイレは視聴覚教室とともに柄の悪い生徒たちの溜まり場になっていた。普通の生徒は近付きもしなかったが、喫煙が発覚してからは授業で使われるとき以外は立ち入り禁止になっていた。また、立ち入り禁止になったのは、喫煙ではなく女子生徒が乱暴されたから、という噂もある。
 そこに連れていかれたということは……!
 聡は自分の身体が一気に熱くなるのを感じた。同時に、背骨を中心に冷たいものが滑り落ちる。激情と悪寒が身体の中で暴れており、すぐにも弾けてしまいそうだ。
 聡の激変ぶりにたじろぐ中等部の女子生徒たちを置いて、聡は猛然と駆け出した。校門から教室棟の玄関に土足のまま飛び込み、廊下を全力で駆け抜ける。途中、何人かにぶつかったような気がしたが、振り返りもせずに走り続けた。渡り廊下を抜けて特別教室棟に入ると、階段を二段飛ばしで駆け上る。
 階段を蹴り上げながら、聡は妹に付きまとっている男子生徒の顔を思い出していた。
 静音と下校するとき、そいつは声を掛けるでもなくただ聡たちを睨んでいた。腕を組みながら、忌々しげに聡を睨む視線が印象に残っている。体格は聡と同じくらいで、黙って普通にスポーツをしていれば、確かに同年代の女子にはもてるのだろう。だが、蛇のように貪欲そうな瞳からは、負の感情しか感じられなかった。
「クソッ! 有り得ねえ……!」
 四階まで一気に上り、廊下を奥に向かって走る。男子トイレと視聴覚教室は角を曲がった所だ。その角に、一人の男子生徒が立っていた。幼さの残る中等部の学生は、聡を見るなりギョッとした顔をする。
 聡には、それだけで十分だった。
「ま、待って……!」
 走り寄る勢いもそのままに、聡は男子生徒の顔面に拳を突き入れた。拳に何かが砕ける感触がしたが、気にせずに腕を振り抜く。
「ぎゃぶっ!」
 鼻を押さえてよろける下級生を足払いで綺麗に転がすと、がら空きの腹に蹴りを入れた。押さえた手の隙間から夥しい量の血が流れ出していたが、聡はもう、それ以上そいつには構わなかった。トイレのドアを勢い良く開ける。
「静音っ!」 
「いやあっ! 助けてっ! お兄ちゃん!」
 静音の悲鳴は聞こえたが、トイレの中には静音の姿は見えなかった。代わりにいたのは静音を追い回していた蛇のような印象の男子生徒と、デブの男子生徒だった。どちらも中等部の制服を着ている。
 静音の声は、一番奥の個室から聞こえてきた。
「手前ら! 俺の静音に何しやがる!」
「わ、わわわっ!」
 慌てた顔をしたデブは片手にスマートフォンを持ち、個室に向かって構えていた。何を撮ろうとしているのかは考えるまでもない。
 そして蛇男子はズボンのベルトに手をかけ、今まさに制服を脱ごうとしているところだった。下品な色合いのトランクスが見えている。
 聡は、自分の視界が暗くなったような気がした。その癖、二人の下級生はハッキリと見えている。二人を排除しないと、静音のいる奥の個室には行けない。
 まず、手前にいるデブの手からスマートフォンを叩き落とすと、返す手で裏拳を顎に叩き込んだ。下級生の身体が男子用便器に叩きつけられる。止めとばかりに髪を掴み、陶器の角に思い切り頭をぶつけた。
「くそぉっ!」
 残った蛇男子はズボンを上げ、ベルトを掛ける間も惜しんで突っかかってきた。が、野球部に所属していて体格は良いものの、所詮は格闘技について素人である。
 聡は相手の襟首と袖を組手の要領で掴むと、振り回すようにして体勢を入れ換える。一瞬、聡の視界に、個室の奥が見えた。
「……! 殺す、絶対に殺す!」
 聡の身体を、激情が支配した。
 男子トイレの個室のなかで、聡の妹は無惨な姿を晒していたのだ。両手は後ろ手に拘束され、ブラウスはボタンが全て外されている。ブラジャーは無理矢理ずり上げられて、年不相応の豊かな乳房が丸見えだ。そして、下半身には何も身に着けていなかった。足元にある布切れはスカートだろうか。下着は口の中に押し込まれていたらしく、唾液の糸を引いて静音の腹の上に乗っている。
 吹き出す感情とは裏腹に、聡の身体は恐ろしく冷静に動いた。
 空手やボクシングと違い、一般的に柔道は相手を傷付けずに勝利することが出来る。共に経験者であるならば、倒しても倒されてもそれほど肉体的なダメージはない。だが、だからといって、柔道が格闘技として弱いかというと決してそんなことはない。その気になれば、相手を傷つけることを目的として技を繰り出すことが出来るのだ。
 そして、今の聡は完全にその気になっていた。
 襟と袖を掴んで相手の身体をゆすり、聡は大外刈りを仕掛けた。ベルトを絞めていなかった男子生徒は、ダブつくズボンに満足に足を動かすことも出来ず、たたらを踏んであっさりと倒れていく。そして、相手の身体をトイレの床に叩きつける瞬間、聡は襟から手を離し、顔面を鷲掴みにした。そのまま勢い良く後頭部を固い床に叩きつける。
「がへっ!」
 おかしな声を上げ、トイレに横たわる蛇男子は、それっきり動かなくなった。
「静音……」
「お兄ちゃあん。こわ……、怖かった……よぉ……、ふええ…………」
 後ろ手にガムテープを巻かれている静音は、剥き出しの身体を隠すこともせずにフラフラと個室から出てきた。そのまま聡に身体を預けるようにもたれかかる。
 幸い、見える範囲に怪我はしていないようだ。ただ、服を剥かれただけである。だがそれは、少女の身体ではなく心に傷を負わせているに違いない。
「遅れてゴメンな。でも、最悪のコトにならなくて良かった……」
 最悪のケース。それは言うまでも無く、静音が犯されてしまうことであった。それを想像しただけで、聡の全身に悪寒が走る。本当に、すんでのところで間に合って良かった。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! お兄ちゃん……! お兄ちゃんが……来て……、良かった……。ううう……、ふ、ふえええ……」
 静音が聡の前で泣いたのはいつ以来だろうか。
 静音を拘束するガムテープを剥がすと、聡は静音の身体を優しく抱きしめた。平均より高いとはいえ、聡から見ればやはり小柄である。愛しい妹の身体は聡の腕の中にすっぽりと納まっていた。
「静ちゃん!」
「大丈夫? 静音ちゃん?!」
 少し遅れて、静音の友達がやってきた。さっき校門のところで、静音の危機を知らせてくれた二人だ。
「二人ともありがとう。ギリギリ間に合ったよ。ついでで悪いんだけど、静音のことを看ててくれる? 服とか、ちゃんと着せてあげて」
「はい!」