「おかえりなさい、明人さん」
「ただいま、静音」
 家に帰りつくや、明人と静音は見ている方が恥ずかしくなるような愛情たっぷりのキスを交わした。聡の目も気にせず唇を合わせ、そのまま始めてしまうのではないかというくらい身体を密着させている。
 と、唇に糸を引きながら、静音は兄に向って満面の笑みを浮かべてきた。
「いらっしゃい、お兄ちゃん!」
(うお、静音のやつ、やる気満々かよ)
「ああ、お邪魔するよ」
 部屋着なのか、静音はゆったりとしたロングのTシャツを着ていた。チュニックと言うには少し丈が短めだ。軽く屈んだだけでお尻が見えてしまうだろう。それに、布地が浮くような豊かな胸は隠しようも無い。
 聡は一週間前の妹の格好を思い出してドキリとした。実家での風呂上りに、下着も顕わな格好で実の兄を誘惑していた妹の姿が脳裏に浮かぶ。
 頭を軽く振って、聡は邪念を撥ね退けた。妹夫婦がその気になっているとはいえ、いきなりこの場で、などということは無いだろう。冷静な顔のつもりで二人の様子を見ているが、それが上手くいっているかどうか、聡には自信が無い。
 明人のスーツをハンガーに掛けたり、鞄を受け取って書斎にしまったりと、そういった普通の主婦らしい仕草を見せるのを見て、聡は微笑ましい表情を作った。これからすることを考えないようにして現実逃避しているだけのような気がするが、妹が幸せな結婚生活を営んでいる様子は、確かに兄としても嬉しいものだ。が、すぐに妹との子作りの意味を考えてしまう。
(いいのか? 本当にいいのか? 俺と静音が子供を作ったりして。そりゃ、昔は本気で作ろうとか悩んだこともあったけど、現実的じゃないって諦めたんだ。血の繋がった実の兄妹なんだ。それが当たり前だ。明人さんは、自分の子供として育てるっていうけど……)
 聡は変な汗が出てくる思いだった。脇がじっとりとしてきて、どうにも居心地が悪い。夫の明人に甲斐甲斐しくしている静音をぼんやりと眺めながら、聡は初めて妹を抱いたときの事を思い出していた。
 今からちょうど十年前。
 聡が十六才で高校二年、静音が十四才で中学二年の時である。二人は同じ中高一貫の進学校に通っていた。
 当時の静音は、普段から一人でいることを好んでいた。と言っても、仲間外れにされていたりとか、コミュニケーションを取るのが苦手で一人ぼっちになっていたりとかしていたわけではない。単に孤独が好みだったのだ。休み時間等は教室の窓際で本を読んでいることが多かったし、放課後は文芸部で黙々と本を読んでいた。部活動の仲間は何人かいるものの、活気が出るのは文化祭の季節だけで、それ以外は思い思いの本を読んでは静かな学校生活を送っていた。
 年齢的に色気付いてもいい頃だが、おしゃれといえば、たまに長い黒髪をポニーテールにしていたくらいである。だが、年齢に比して大人びた顔立ちと平均より高めの背丈で、本人の意思とは裏腹にクラスの中では結構目立っていた。さらにもう一点、静音にはクラスの中で目立つ要素があった。胸のサイズが、クラスメイトの中でも群を抜いて大きかったのだ。高めの身長と合わせて、同学年の女子に比べて実に女らしい体つきだったのである。そのせいで、体育の時間などは色気付いた男子の視線が痛々しいほど突き刺さっていたし、ストレートにからかわれることもしょっちゅうだった。そんないじめ未満のちょっかいを冷ややかに無視していたせいもあって、クラスの中では目立ちながらも、ちょっと浮いた存在となっていた。

「お兄ちゃん!」
「あん?」
 放課後、玄関ホールの下駄箱で靴を履き替えたところで、聡は静音に声を掛けられた。顔を向けると、鞄を片手に、息を切らせた妹が玄関のところに立っている。
 中等部のブレザーに身を包んだ静音は、高等部の昇降口ではかなり目立っていた。同級生に比べて成長著しい静音は、高等部のブレザーを着ても違和感が全く無い身体つきをしている。しかも、兄の贔屓目を差し引いても、静音は結構可愛らしい。目立つなと言うほうが無理である。
「よかった、すぐに会えて。お願い、お兄ちゃん、あたしの恋人になって!」
「……は?」
 それまで放課後の喧騒に包まれていた玄関ホールが、一瞬で静まり返った。数瞬後、聡の周囲にどよめきが走る。
「よう、シスコン、とうとう禁断の関係に踏み込んだか?」
「うるせえ!」
 とある理由から、聡はクラスメイトからシスコンと呼ばれるようになっていたものの、この時点では、二人は只の仲が良い兄妹である。
 面白いオモチャをからかってやろうと、聡のクラスメイトたちは面白がるように群がってきた。だが彼らは、静音を見るなり全員が硬直した。
「え、聡の妹って、マジにこの娘? スゲー可愛いじゃん」
「ああ、確かにこの娘だよ。前に聡と一緒に登校してきたのを見たことがある」
「ってか、ホントに中学生? ……だよな?」
 そう言った男子生徒は、静音の全身を頭から爪先まで舐めまわすように見つめた。特に胸元で視線がゆっくりになったのは、気のせいではないだろう。
 興味津々といった様子の兄のクラスメイト達に囲まれて、静音は思わず一歩後ずさる。
「あ、あの……」
「こっち来い、静音!」
「お幸せに~」
「やっかましい!」
 冷やかしを入れるクラスメイトに毒づきつつ、聡は妹の手を取って玄関ホールを出た。そのまま、校門とは逆方向のゴミ置き場に向かう。この時間なら人気は少ないはずだ。
「何考えてんだ! 学校で変なコト言うなよな!」
「ゴメン……」
 シスコンとあだ名されてから、聡は意識して妹から距離を置こうとしていた。それまでは一緒に登下校していたし、学校で話しかけられても普通に応えていたのだ。
「で、どういう意味なんだ、恋人になれってのは?」
「うん、振りでいいんだけど……」
「勘弁してくれ。なら、最初からそう言えよな……。明日っから、また色々言われるぜ」
「ホントにゴメンね、お兄ちゃん。それで、その訳なんだけど……」
「ああ」
 少し逡巡するだけの間をおいて、静音はとんでもないことを言い放った理由を話し始めた。
「ちょっと、クラスの男子に変なのがいるんだけどね、最近ずっと付きまとわれてるの」
「そいつに、告白でもされたのか?」
「うん……。でも、そんな気は全然無かったから断ったよ。断ったんだけど、それでもしつこく誘ってくるの。今も校門の所にいて、帰れないから……」
「先生にでも言やいいじゃねーか」
「ダメだよ。そんなことして逆恨みされたら……」
「中学生の逆恨みなんて、大したことないだろう」
「だって、あいつの変な噂をよく聞くんだもん。二股とか三股掛けてたとか、レギュラーを争ってた先輩が事故ったとか襲われたとか……」
「レギュラー?」
「野球部なの。噂を知らない女子とかには人気があるみたいなんだけど……」
「噂だろ」
「なんで、あたしみたいな地味なのにちょっかい出してくるんだろ……」
 聡は思わず妹の胸元に目をやった。中学生とは思えない、ブレザー越しにも分かるくらい豊かな胸だ。それに、孤独を好むせいで静音自身に自覚は無いようだが、端から見て静音は結構な美少女なのだ。
 それが兄の贔屓目だけではないのは、さっきのクラスメイトたちの反応を見ても分かる。
「兄妹で恋人なんてなれるわけ無いだろ。振りをしててもすぐにバレる」
「ああ、うん、そうだね……。普通はそうだよね。でも、お兄ちゃん柔道やってたじゃない。黒帯だし」
「それを言うならボディガードだろうが」
 聡は中学までは柔道部に所属していたが、団体戦の補欠になれるかなれないかという微妙な実力で伸び悩んでいた。また、両親が会社を立ち上げたばかりで、静音と一緒に家事をこなさなくてはならなくなったし、バイトをしたいということもあったので、高校に上がってからは帰宅部である。
「大体、俺は高等部、お前は中等部。四六時中いっしょにいるって訳にはいかないだろうが」
「でも……」
 静音は上目使いに兄を見つめた。意識してかどうかは分からないが、昔から静音は聡に頼み事をするときにはこういう表情をする。そして聡は、この表情にとても弱かった。妹と距離を置こうとした決心が、あっさりと覆されてしまう。
「……うー。わーかった! 行きと帰りは、前みたいに一緒にいてやる。学校の中ではいっつも友達と一緒にいろ。それでいいな?」
「うん! ありがとう、お兄ちゃん!」
「だーっ、くっつくな!」
 それからわずか数日後、聡は自分の想像が甘かったことを思い知らされた。